アイスホッケージャンボ
昭和53年(1978)(推定)/エポック社
最後にして最高傑作
約82cm×44cmと圧倒的サイズを誇る、文字通りジャンボサイズのエポック社ホッケーゲーム史上最大にして最上位機種。
恐らくは時を同じくして発売されたであろう(正確な発売年は不明)レギュラーサイズのアイスホッケーゲームの項でも触れたが、当時格段の進歩を遂げたプラスチック成型技術がこのような大型化を実現させたものと思える。
そのサイズ感たるや圧倒的で、思わず「キング・オブ・アナログゲーム」の称号を謹呈したくなる。
当時すでに19歳、酒・タバコ・麻雀・パチンコに明け暮れていた(おいおい)フリーターだった筆者は、本機の存在など知る由もなかったが、もしもこのとき小学校高学年であったなら、本機欲しさのあまり、毎夜まんじりともできなかったであろう。
リアルな選手人形
リンクのサイズだけでなく、選手人形の造形及び用具のリアルさに思わず息を呑む。
前傾姿勢でスティックを巧みに操ってパックをキープする選手、そして完全防備でゴールを死守せんとするキーパーの姿は、本物のアイスホッケー選手そのものだ。
時すでに昭和53年(1978)、プラスチック成型加工技術の発展がそれを可能にしたであろうことはもちろんだが、エポック社開発陣の、どこまでまリアリティにこだわろうとした熱意もひしひしと伝わってくる。
アナログ時代の掉尾を飾る名機
本機が発売された(推定)昭和53年(1978)は、玩具業界に激震が走った年だった(と思う)。
8月にあの「インベーダーゲーム」が世に出されるや、瞬時にして日本全国に一大ブームを巻き起こした。
私事で恐縮だが、当時通い詰めていたパチンコ屋から、あっという間に客の姿が消えたのを、あれから40年以上を経た今でも昨日のように鮮明に覚えている。
もっとも、筆者自身は流行りものに敢えて一切興味を示さないという天邪鬼な性格ゆえ、インベーダーゲームには一切関心がなく、逆にパチンコ屋がガラガラになり、勝負する台が選び放題になったのを喜んだ。それでもほとんど勝つことはできなかったが。
そんなわが暗黒の青春時代の無駄話はさておき、この時を境にして、多くの子供~少年は本機に代表されるような、いわば旧時代の遺物ともいえるアナログゲームには-極端な言い方をすれば-これ以降見向きもしなくなっていく。
実際、過去最大サイズと究極の完成度を誇った本機を最後に、エポック社はこれ以降この類のアイスホッケーゲームを発売していない。
それに代わって登場するのが、本機とは比較にならないほどの運動量と反射神経が要求されるエアホッケーゲームだが、それはもや純然たるアナログゲームではなく、むしろ黎明期のコンピューターゲームの一種であった「ブロック崩し」の実写版?とも呼ぶべき代物だ。
本機はそんな歴史が移り変わる谷間に人知れずひっそりと咲いた、それにしては巨大なあだ花、とでも言えようか。