ダイヤモンドホッケー

昭和34年(1959)/米沢玩具

ダイヤモンドホッケー 全景

同い年だ

サイズは72cm×36cmと、後のエポック社製サッカージャンボよりは少々小さめながら、それでも結構大きいのに驚かされる。
リンクと周囲の筐体は合板、リンク上の青いフェンスはブリキ製。

昭和34年(1559)発売といえばなんと筆者と同い年!ということは実際に本機で遊んだ経験を持つのは、現在70歳以上の、しかも当時相当なお坊ちゃんであったと容易に推測できる。

まるで当時の日本の住宅事情を無視したかのようなサイズ感から推測して、恐らくは外国メーカーのライセンスを受けての生産かと思われるが(未確認)、戦後わずか14年足らずでこのような玩具を世に問うメーカーの、ひいては当時の日本人たちのたくましさが垣間見える。

あの頃の筆者たちはまだまだ貧しかったが、底抜けに明るく、元気だった。そして何より、明るい未来を無条件に、無邪気に信じていられた。



ダイヤモンドホッケー ブリキ選手人形

ブリキの日本人選手

公益財団法人日本アイスホッケー連盟ウェブサイトによると、昭和41年(1966)に6年後の札幌オリンピック開催が決定するとともに、この年、古河・福徳・岩倉・王子・西武の5チームで日本アイスホッケーリーグが開幕したとある。

本機の発売は驚くべきことにその7年も前のことだ。これを先見の明と言わずして何と言う。

昭和30年代のことゆえ選手はもちろんブリキ板だが、それ以上に衝撃的なのが彼らが奪い合うパック。
どうも色が変だなと思ったら、よく見るとゴム製ではなく、なんと本物の切り株と見紛うような木製ではないか!

キミたちは木こりか!?



ダイヤモンドホッケー マスクなしのキーパー

マスクどうした?

おいおい、そんな、マスクなしで、パック…もとい、あの切り株が顔面に向かって飛んで来たらなんとする?

キーパーだから動体視力には自信があるのかもしれないが、過信は絶対禁物だぞ。

ゴールは低く横に長いが、その分キーパーの可動域も広い。
そしてこれ以降、米沢玩具のホッケーゲーム発売は確認されていない。
不幸にも産まれてきた時代がちと早すぎたか。

ここで最後に20年前、旧Webサイトに書いた説明文を引用する。


「付属の説明書には、本機の遊び方以上にアイスホッケー自体の説明が詳しく書かれてある。
当時まだ全国的にはなじみが薄かったことをうかがわせる」


やはり本機の登場はあまりにも時期尚早だったのかもしれない。

◆ホッケーゲーム一覧に戻る