エキサイトボーリング
昭和46年(1971)/ニッコー
百花繚乱
本機も御多聞に漏れずボウリングブーム真っただ中の昭和46年(1967)発売。
全長89cm、レーンの長さは77cm、ボウリングゲームとしては中型と大型の中間と言うべきサイズ感だろう。
発売元はニッコーだが、それがかつてトイラジコンを主力商品としていた玩具メーカーと同一か否かは現時点では未確認。
それにしてもこの昭和46年(1971)のボウリングブームは凄まじいものがあった。
日本全国津々浦々に至るまで夥しい数のボウリング場が建設され、そのどれもが休日ともなると2~3時間待ちは当たり前。
テレビをつければ毎晩ゴールデンタイム(この響き自体が懐かしい)にどこかのチャンネルでボウリング番組が放送されていた。
NHKに「ボウリングブーム到来(1971)」のニュース・アーカイブが保存されている。
主婦や漁師がボウリングに興じる貴重な映像を見るにつけ、この年は日本国民が皆一様に、朝から晩までボウリングのことばかり考えていたのではないかすら思えてくる。
(※ちなみにボウリング場が日本に初上陸した1952の映像はこちら)
ボウリングゲームもしかり。
「国内ゲーム販売史」Webサイトによれば、昭和46年(1967)の1年間だけで、なんと11社ものメーカーから一斉にボウリングゲームが発売されている。
まさに百花繚乱、雨後のタケノコ状態。
夢のスウィープ機能付き
要はボールを転がして10本のピンを倒すだけのシンプルなゲームゆえ、他メーカー製品との差別化を図るには、リアルで特徴的なピンセッター機能が不可欠だ。
本機におけるピンセッターの特徴はなんといっても、第一投で倒れたピンを掃き出す「スウィープ機能」が搭載されている点だ。
筆者個人としては、このスウィープ機能の有無がボウリングゲームのリアリティを大きく左右すると考えている。
男女ペアとデラックストロフィー
本機のもう一つのポイントは、筆者の大好きな「人形」が投球してくれる点だが、本機には男女2体の投球人形が付いていて、自分の好きな選手を選んで投げられるのだ。
これはうれしい。
残念ながら本機は男性人形の下にあるべき肝心の投球装置がなくなっているので、もっぱら女性ボウラーに投球をお願いするばかりだが、その美貌とスタイルは他社の投球人形とは一線を画している。
せっかくの機会だから男性人形にもご登場願って女性人形と仲良しツーショット♪
…しかしよく見るとこの男性人形、少々不気味である。
■「青い目」ではなく「青い白目」
■口紅なのか鼻血ブーなのか判然としない
■眉毛ナシ(女性人形には太い眉)
願わくばこういう細部こそ、しっかり作り込んで欲しかった。
しかし本機にはそんな些細な欠点など補って余りある大きな特徴がある。
な、な、なんと、ゲームの勝者には豪華な「デラックストロフィー」が贈呈されるのである。
今日では考えられないだろうが、この当時はテレビのボウリング番組の影響もあって、大人も子供もトロフィーを欲しがった。
何のトロフィーであろうが、トロフィーそれ自体がステイタスであり、憧れであった。
筆者の家の近くにあった駄菓子屋で当時いちばんの人気商品は「当てもの」だった。
1回10円でくじを引き、そこに書かれている数字の賞品がもらえるのだが、1等から3等までの「大当たり」はいずれもオモチャのトロフィーだった。
そのトロフィーが欲しくて欲しくて、親に小遣いをせびっては毎日のように駄菓子屋に通い詰めたのを思い出す。
しかし当時からクジ運にはまったく恵まれず、念願のトロフィーを手にすることはついぞなかった。
(そもそも当たりくじが含まれていたのか、今となっては不明)
そんなわけで、当時の昭和っ子たちにとっては、ゲームに勝ってトロフィーを授与されるという栄光が、この上なく眩しいものだったに違いない。
家族団欒とブームの終焉
本機にはスコアシートが付いているのだが、その多くに所有者が当時実際にプレイしたスコアが書き込まれている。
(「練習ボールは最初のゲームの1フレームにお願いします」という注意書きが、いかにも本物のボウリング場っぽくてニヤリとさせられる)
そこには今を去ること50年以上も前の、とある一家のいかにも楽しげな団欒のひと時が封じ込められているように感じられる。
休日前の夕食後のひととき、家族揃って食卓を囲み、歓声を上げながらお茶の間ボウリングに興じる-。
そんな、今となってはあまりにも遠い昔日のモノクロームのひとコマが鮮烈に蘇ってくるようで、いい齢をしてついつい目頭が熱くなる。
しかし、そんな「一億総ボウリング祭り」とでも言うべき熱狂の日々も、その後わずか1年かそこらであっけなく終焉を迎える。
あれだけ待たされた全国のボウリング場もいつの間にかガラガラになり、そしてほどなくしてその多くが営業を終了する。
翌昭和47年(1972)、突如として全世界を襲ったオイルショックがボウリングブームに冷水を浴びせたという側面もあろうが、いずれにせよ「急激に熱しやすく、また冷めやすい国民性」が浮き彫りになったのも事実だろう。
ボウリングゲームもまたしかり。
この翌年、昭和47年(1972)に発売されたのは、「国内ゲーム販売史」によれば、わずかエポック社からの1点(機種は不明)にとどまっている。
ブーム到来とともに一斉に華々しく登場し、その翌年には見事なまでに揃って姿を消したボウリングゲーム。
本機をはじめ現在筆者の手元にあるゲームたちは、半世紀以上前に突如巻き起こった一瞬の狂騒を、静かに今に伝えている。