サッカーゲーム
昭和40年(1965)/エポック社
サッカーゲームの夜明け
本機はサッカーゲームジュニア同様、東京オリンピックの翌年、昭和40年(1965)に発売された。
天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が元日に開催されるようになったのはこの4年後、昭和44年(1969)からであることも考えても、 当時の実業団サッカーの人気が、すでにプロ化して久しかった野球のそれに比肩するほどであったとは、残念ながら少々考えづらい。
従ってこのアナログサッカーゲームに関して独壇場であったはずのエポック社のサイトを見ても、往年の機種の変遷を辿ることは叶わない。
ちなみに、後のプラスチック成型版の3サイズ展開(ノーマル/デラックス/ジャンボ)とは異なり、このブリキ板時代はジュニアと本機の2機種の発売であり、それは別項にて紹介しているホッケーも同様だ。
時代を感じる得点板
得点板には「ヤンマー」「三菱」のボード。ヤンマーといえば釜本、そして三菱といえば杉山。
それ以外にも付属品には「古川」「日本鋼管」「東洋」などのチーム名ボードを見ることができる。 いずれも昭和を代表する「重厚長大産業」のトップ企業ばかり。
大手IT企業名がズラリと並ぶ今日のスポーツチーム名と比べると、まさに隔世の感あり。
横っ飛びする守護神
サッカーゲームジュニアではゴールキーパーもその他選手と同じブリキ板であったのが、本機では立体的造形の人形、しかもゴール後ろのレバーをひねることで左右に横っ飛びして(正確には倒れ込んで)味方のゴールを死守する。
しかしこれでは他の選手をコントロールするレバーとは明らかに異なる手の動きが要求されることになる。
果たして一瞬の判断に基づく俊敏かつスムーズなキーパー操作に移行できるものか、疑問が残る。
疑問と言えばもう1点、ブリキに描かれた選手イラストはなぜ欧米人なのであろうか?
これは輸出を視野に入れてものか、それとも単純に欧米人の方がカッコいいからか、多分両方。