魚雷戦ゲーム(初代)

昭和42年(1967)/エポック社

魚雷戦ゲーム(初代) 全景

海中を潜行する魚雷

昭和30年(1955)~40年(1965)生まれの男性なら、誰しも子供の頃一度は遊んだ経験があるのではないかと思わせるほどの大ヒットを記録した名シリーズの初代機。

小さな鉄球を反対側にある敵艦の、海面を表すプラスチック板の下に隠れた突起に当てて撃沈することを競うという、なんとも単純極まりないゲーム。

しかし、盤面を覆う青いプラスチック板の紺碧の海中を音もなく進む魚雷(鉄球)が敵艦に命中、これを沈没させたときに得られる興奮、あるいは逆に、敵の魚雷が味方戦艦をかすめたときのゾクゾクするようなスリルは、それまでのどのゲームでも味わうことができなかった。

艦隊の先頭を行く旗艦を撃沈すれば50点、2番艦、3番艦はそれぞれ30点、20点となる。
遊戯者は手持ち6発の魚雷を相互に放ち、すべて撃ち終わった時点での獲得点数を競うもの。



魚雷戦ゲーム(初代) 発射口

発射口は鉄板

魚雷発射装置の上から玉込めポケットに鉄球を落とし、装置裏にあるスイッチを押すと、発射された魚雷が銀色の鉄板を勢いよく転がり落ち、海面を表す青いプラスチック板の下を、敵艦めがけてまっしぐらに潜行していくという仕組み。

初代機ではこのように、左右どちらの穴から発射された魚雷であっても、結局は同じ鉄板を通って海中に潜るので、左右別々の玉込めポケットが本当に必要なのかという疑念も沸いてくる。

エポック社はそうした声に応えるかのように、次の二代目機種ではその点に大きな変更がなされる。

ちなみに、海面に白線で描かれているのは発射角度の目安だが、あくまでもゲームに迫真性を持たせるための演出であって、勝敗の行方を左右するほどのものではない。



魚雷戦ゲーム(初代) 敵艦見ゆ!

男児を束の間虜にしたスリルと興奮

この魚雷戦ゲームは初代である本機が大ヒットを記録、その後もほぼ毎年のように、マイナーチェンジが施されたバージョンが繰り返し発売されていく。

このように、細かな改良を加えた後継機種を年ごとに投入していくというやり方は、同社の人気商品・野球盤にも通ずるエポック社のお家芸ともいえる「プチ・リニューアル商法」だ。

しかし逆に言えば、野球と異なり大海戦という非日常を扱うゲームにおいてさえも、常に遊戯者の視点でより一層快適な操作性の改良、興奮を呼び起こす装置の追加に余念のない同社の開発姿勢にはつくづく感心させられる。

魚雷戦ゲーム(初代) 手前からみた全景

基本的には青いプラスチック板の下を鉄球が行き交うだけの超シンプルなゲームがなぜそこまでロングセラーを記録し得たのか、それについては手前味噌ながら20年前の筆者の記述が明確に言及しているように思える。

以下はその引用。

「このアングルを見ていただきたい。
大海原のはるか向こうに見える敵艦隊のたたずまいがなんとも不気味に見える。
野球やサッカーと違って、日常生活においては体験不可能な『大海戦』だからこそ、スリルと恐怖を伴ったある種の『高揚感』が、全国の健全な子供たちをしてこのゲームに熱中せしめたのではなかろうか。
くれぐれも『好戦的意識を助長させる』などと不粋なことは言わないように」

それを肯定、いわんや賛美する意図は毛頭ないが、昭和30~40年代は皆があらゆることに対して今より鈍感…もとい、寛容な時代だったと言えよう。



魚雷戦ゲーム(初代) パッケージ

この魚雷戦ゲーム、初代から5代目までのリニューアルに伴い、その都度商品パッケージのデザインも大きく変わっていくのも特徴的。

この初代におけるパッケージデザインは文字通り大海戦の迫力溢れるイラスト。
筆者より3~4歳ほど年上の1955~1956年生まれの男児は、おもちゃ屋のショーウィンドウに飾られたこのパッケージを見ただけで、もう欲しくて欲しくてたまらなくなったのではなかろうか。

本機に続いて翌年発売されることになる二代目も似たような海戦イラストを採用しているが、3代目以降はガラリとデザインを変えていく。
このあたりにも何やら時代が変化していく空気が感じられるような気がする。

◆魚雷戦ゲーム一覧に戻る