パーフェクトボウリング
昭和46年(1971)/エポック社
永遠の憧れ
日本国中がボウリングブームに沸いたのが昭和46年(1971)ごろ。
その1年ほど前、私は父に連れられ、生まれて初めてボウリング場を訪れた。その頃父が加入していた業界団体のある支部が会員相互の親睦を図るのため、毎月第1金曜日に当時鶯谷駅近くにあった上野スターレーンでボウリング大会を開催していたのだ。
場内に一歩足を踏み入れると、そこにはズラリと並んだレーンからピンがボールに勢いよく弾き飛ばされる音がこだましていていた。それまで経験したことのないエキサイティングな雰囲気にすっかり飲み込まれた私は、なんとも言えぬ不思議な高揚感に支配された。
しかし小学校4年生の私が興奮したのはボウリングというゲームそれ自体より、むしろ「ボウリング場」そのものだった。場内の奥に備え付けられたジュークボックスからは当時生意気にも毎週日曜日にラジオにかじりついて聴いていた洋楽ヒット曲が大音量で流れ、その横にある、小さいボールが行ったり来たりして盤面がキラキラ光る不思議な台に、若い男女が夢中になっていた(後にそれがピンボールであることを知る)。
また、父に小銭をもらって初めてビンの自動販売機で買って飲んだミリンダグレープの夢のような美味しさに、思わず目がくらみそうになった。
「ここは日本ではない。ボウリングに興ずる大人たちは確かに日本人だが、ここはアメリカだ」
この日以来、第1金曜日がやって来るのを毎月指折り数えて待つようになった。とにかく上野スターレーンに行きたかった。そこでミリンダグレープを飲み、流行りのポップスに耳を傾けていたかった。
そんなボウリング場の雰囲気をそのまま再現したのが、この翌年、まさにボウリングブーム真っただ中に発売された本機。
タケノコ式ピンセッター
正三角形に整然と並べられた10本のピンを見ているだけでワクワクしてくるのは、上部を覆うフードがそこはかとないリアリティを演出していることにもよるだろう。
このような卓上ボウリングゲームの基本構造は他の項でも記している通り、1960年代にアメリカから輸入されたものが原型となっている。
しかしそれを当時のエポック社開発陣が、日本人特有ともいえる細部へのこだわりと執念とをいかんなく発揮して、この歴史的名機を世に出したといえよう。
特筆すべきはピンセッターの構造。
ピンセットが完了するとピンセッターが持ち上がる一般的な「開閉式」ではなく、逆に、持ち上げられた青色のフードレーン上に戻すことで、地下?にセットされたピンがニョキニョキと生えてくるかのような、エポック社独自の「タケノコ式」を採用している。
一方で当時の子供たちの憧れの的であった、倒れたピンを掃き出す、メカニックかつオートマチックな「スウィーパー」は搭載されていない。
(ただし本機の上位機種である「パーフェクトボウリングカスタム」では素晴らしいスウィーパーが大活躍する)
多彩な機能
以下、発売当時のチラシ広告より引用。
★フックボールがデリケートにコントロールできるデラックスなレーンです
★ナイスフォームの人形が投球します。コースをきめてボタンを押すだけ…
★フードをたおすとピンが沈むいかすピンセッター これでセットがかんたん
★投球したボールが押しボタンでかえるかっこいいセルフリターンシステム
…ここまで、いかにもかつて所持していたかのように書き進めてきたが、貧乏小売店主の息子がこのような高級機を買い与えられるはずもなく、かわりに別メーカーの、本機とは似ても似つかぬチープな機種でがまんさせられた。
その怨み骨髄、とまでは決して言わぬが、今から20年前、30年越しの宿願叶ってようやく手に入れたときは、あまりのうれしさに本機を愛でつつ安酒をがぶ飲み、泥酔してしまった。