ファミリーボーリング

昭和46年(1971)/野村トーイ

ファミリーボーリング 全景

わが思い出のゲーム

本機は昭和46年(1971)発売だから当時筆者は小学校6年生。

他のボウリングゲームの項でも散々言及しているが、この年はボウリングブームの真っただ中。
折しも同年、自宅から徒歩5分の駅前に完成したばかりの(当時としては)高層ビジネスホテルの2階と3階にもボウリング場が作られたが、休日ともなれば2~3時間待ちは当たり前。

ちょうど思春期(あるいは反抗期)に差し掛かる小学校6年生を預かる小学校としても、このボウリング場にはかなり神経をとがらせていた。

今ではすっかり健康的なシニアの社交場となってしまったボウリング場だが、このころのイメージはまだ決して健全とは言い難く、ともすると不良中高生と溜まり場となっていた。
したがって筆者のクラスでも担任から「子供だけでの立ち入りは厳禁、たとえ親と一緒でも休日の日中に限る」と厳しく言い渡されたことをうっすらと記憶している。

そんな子供たちにとって自宅に居ながらにして気軽にボウリングを楽しめるこの種のゲームは爆発的人気を呼び、多くの玩具メーカーが独自の工夫を凝らしたモデルで続々と参入した。

そんな中でも圧倒的人気を誇ったのは、当時国民的人気を博していた女子プロボウラー、中山律子選手をパッケージ及びCMに起用したエポック社「パーフェクトボウリング」だった。
リアルな投球人形・ボウリング場にいるようなワクワク感が味わえるピンセッティング機能など数多くの特長を備えていたが、なんといっても本物のボウリングレーンを思わせる木目のプリントが施されていたレーンが子供たちの心を躍らせた。

さりとて貧乏小売店の小倅はそのような上等なゲームなど買い与えられるはずもなく、散々ねだった挙句、ようやく買ってもらったのがまさに本機だった。

全長60cmの小さめサイズ、レーンは薄っぺらいプラスチックで、なぜか真っ赤に塗られている。
それ以外にもこの後述べるようにチープ感たっぷりの本機だったが、それでも地元のオモチャ屋で念願かなって買ってもらったときは大喜びしたことを鮮明に記憶している。
当時、わが両親はあれこれとやりくして、やっとのことで本機の代金¥850を捻出してくれたのだと思う。

本機をインターネット―クションで落札した20年前、筆者はすでにこの前身となるウェブサイト「野球盤道場」の制作に飽きが来ていた。
結局本機は掲載されることなく、その後20年以上もの間、倉庫に眠っていた。
今回ようやくこうして掲載が叶い、長年の宿願を果たすことができてひとまず安堵している。

しかしそれと同時に、今から半世紀前、こんなわがまま息子にできる限りの贅沢をさせてくれた親に、改めて感謝の気持ちでいっぱいだ。



ファミリーボーリング 定規式ピンセッティング

ただただシンプル

同時期発売されたヨネザワ「ダイヤモンドボーリング」と同様、穴あき△定規にピンをはめ込んでい方式くピンセッティング。

シンプル極まりないがこれはこれで楽しかったし、ピンセッティングシステム自体には個人的な興味がなかったので、裕福な同級生の家でオートマチックなピンセッティング機能を持つデラックスなボウリングゲームを見たときも、さして羨ましいとは思わなかった。

それでももちろん、本物のような木目の(プリントが施された)レーンには憧れたが。



ファミリーボーリング 滑り台式投球装置

滑り台式投球装置

黄色い滑り台を下に押し込むことでボール下の突起がボールを押し出す仕組み。もちろん滑り台はその場で向きを変えられるのでスペアも狙える。

ピンを倒したボールはその奥にある緩いすり鉢状の中央にある穴に落ち、レーン下を通って投球装置の真下まで戻ってくる構造だが、ほとんどの場合、ボールは倒されたピンに阻まれて穴に落ちることができない。

本品で特筆すべきはスコアカード20枚が付属している点。
同封の説明書にはスコアのつけ方が詳細に書かれている。
お若い方には信じられないかもしれないが、当時は本物のボウリング場においてさえもスコアは自動計算表示ではなく、手元で鉛筆にて手書きされたものがオーバーヘッドプロジェクターを通じてレーンの上方に表示されていた。

また当時は毎日のようにテレビでボウリング番組が放映されていたこともあって、小学校高学年であればほとんどの子供がボウリングのスコア計算~記入ができたと記憶している。

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