サッカーゲーム
昭和42年(1967)/トミー
王道ブリキサッカー
本機は国内ゲーム販売史Webサイトでは昭和42年(1967)発売とされている。
ということは昭和40年(1965)発売のエポック社「サッカーゲーム」より2年遅れての登場となるが、それにしてはいかにも古そうに見えないこともない。
実は本機、ドイツの玩具メーカー・テクノフィックス発売が恐らく1950~1960年代に発売したと思われるブリキ製のサッカーゲームとまったくの同一品。
盤面横にMade in Japanと書かれているところを見ると、恐らくはテクノフィックスからライセンスを得たトミーが日本国内で生産したものと思われる。
2本のレバーで11人を制御
エポック社やヨネザワなどがそれぞれの選手を個別のレバーで操作するのに対し、本機はゴールの左右にある、上に突き出た2本のレバーを押し引きすることで、キーパー含む11人の選手を制御する仕組みになっている。
それを可能にするのが盤面裏を複雑に這い回るブリキ製の制御板、これだけ見ても何がどうなっているのやら見当がつかない。
だが、その割には残念ながら各選手の可動域はたった5~6cmとオッソロシク狭い。
今から20年前にヒットした深夜ドラマ(その後ゴールデンに昇格)の主人公・Y田N子のセリフを借りれば、
「どこまでも手間のかかることを!」
イモ洗い状態
約50cm×30cmと、決して広いとは言えないピッチに両軍合わせて22人の選手が入り乱れる様子は、ほとんどイモ洗い状態。
なるべく場所を取らないようにとの配慮か、扁平に作られた選手人形の顔貌はどれもあどけなく、まるでマトリョーシカを見ているかのようだ。
また、本機も他のブリキ製サッカーゲーム同様、レバーを操作するたびに「キィキィ」という、あのイヤな金属音に苛まれる。
実を言うと下の動画撮影の際は耳栓を装着した。