巨人の星野球盤C型

昭和44年(1969)/エポック社

巨人の星野球盤C型 全景

最強コラボ商品

昭和41年(1966)から「週刊少年マガジン」に連載された「巨人の星」は大人子供を問わず日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。

折しも読売ジャイアンツの黄金期とあって野球ブームは空前の盛り上がり、そんな中発売された本機、売れないはずがなかった。

サイズは44㎝四方、両翼は55㎝と、昭和35年(1960)発売の「野球盤F型」をほんのひと回り大きくした程度で、この後エポック社の基本戦略となる「A型・B型・C型」三段階サイズの最小型。

A型を「本格派」、B型を「普及型」と考えれば、このC型はいわゆる「廉価版」という立ち位置になろう。
当時の一般家庭でも手が届きそうなこの「大衆向けC型」に当時人気絶頂だった「巨人の星」というキャラクターを付加させたというところに、エポック社の空恐ろしいばかりに卓越したマーケティングセンスをひしと感じざるを得ない。

このころ筆者は小学校4年生だったが、なぜか野球盤にも巨人の星にもさして興味がなく、本機を特に欲しいとは思わなかった。
近くに住んでいた同い年のマサカズくんの家には本機があったが、彼の家が八百屋のせいか、その野球盤は妙に玉ねぎの腐ったような臭いがしたことを鮮明に覚えている。

本機に対して個人的に良い印象を持てなかったのは、案外そんなところに理由が潜んでいるのかもしれない。



巨人の星野球盤C型 上方から

あどけない星飛雄馬

盤面に描かれた主人公・星飛雄馬にはまだ子供っぽさが残っている。
本機は彼が巨人入団後、大リーグボール1号を編み出したころのキャラクター契約であろうと思われる。



巨人の星野球盤C型 スコアボード裏から

飛雄馬メッタ打ち

写真右側のレバーは投球用、左の短いそれはカーブ・シュートの変化球用。盤面裏にある磁石をレバーで動かして投球を曲げる仕組み。

しかし、下の動画をご覧いただいておわかりの通り、われらが星飛雄馬はめった打ちの目に遭っている。
もちろんそこには、筆者ひとりで投打をこなしているゆえ、投球のタイミングが図りやすいという点もあるだろう。

だがそれ以上に問題となるのは、なんといっても球場の圧倒的狭さである。
投球・打球装置は上位機種と変わらず、グラウンドだけが狭ければ、おのずと結果は知れようというものだ。 A型では外野フライに終わる打球も、このC型ではあっけなく場外に消えていく。

後年、星飛雄馬が消える魔球を編み出すのと足並みを揃えるかのように、エポック社製野球盤に消える魔球システムが採用されるに至るのも、ひとつにはこのような乱打戦を減らす狙いがあったのかもしれない。

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