ピッチングマシン付野球ゲーム
昭和43年(1968)/アサヒ玩具
世紀の珍盤
サイズは53cm四方、両翼60cm。
半ば写真のようにリアルな選手と審判のイラストが描かれている盤面自体は、ソフトビニール製と思しき外周壁をも含めて、エポック社「オールスター野球盤B型」シリーズを彷彿とさせる。
しかし本機が通常の野球盤(の遊び方)とまったく異なることは、本来センターバックスクリーンがあるべき位置に据え付けられた何やら赤い装置と、外野一面のみならず本塁後方にも高く張り巡らされた黄色いネットが如実に物語っている。
気分はバッティングセンター
まるで大砲のような、投球というより文字通り発射装置。
後ろについているレバーを引っ張って離すと球が飛び出し、驚くべき速さでバックネット目がけて一直線。
それを待ち構えるのは、どう見てもバットというよりしゃもじのような打撃装置。
ぐるっと右に回したしゃもじはバックネット裏にあるレバーを下に押し込むことで高速回転して投球を迎え撃つ。
またこのしゃもじは、まるで剣道の上段・中段・下段のように「構え」を変えることができる。
ちなみに、ネットに当たってグラウンド内に落ちた打球の判定はどうなるのかというと、付属の<遊び方>によれば(抜粋) 、
ハ)バックネットに直せつ当り下に落ちたときはホームランです。
ニ)ばん(筆者註:盤のこと)やフェンスからバウンドしてバックネットに入ったらヒットです。
ホ)ネットに当っても、ばんの中にもどった時又、フェンスにぶつかった時は、最後にボールが止まったところで決めます。
…なんだかややこしい。 これでは打球の判定を巡って乱闘騒ぎが頻発したであろうことは想像に難くない。
いずれにせよ、ここまでくると野球盤というよりはむしろ家庭用バッティングセンターと呼んだ方がよさそうだ。
ウィキペディアによると、日本最初のバッティングセンターは、昭和40年(1965)12月、当時東京墨田区にあった「東京楽天地」にオープン。
その後NHKがそれを紹介するとピッチングマシンの注文が殺到して全国各地にバッティングセンターが作られ、最初のブームが起こったとのこと。
どうやら本機の発売元・アサヒ玩具の狙いは野球盤市場へ参入ではなく、むしろ野球盤の姿を借りて「家庭で手軽に楽しめるバッティングセンター玩具」市場を開拓することにあったかのように見受けられる。
発売年代特定
本機は長い間、その製造~発売年代が不明だった。
そこで筆者お得意?の特許・実用新案検索に挑んだ結果、いとも簡単に判明した。
上の画像は昭和49年(1974)の特許公報。
この出願が本機のものであることはその全体図及び投球・打撃装置のイラストから明白だ。
出願されたのはそれを遡ること6年も前の昭和43年(1968)7月であるから、同年かあるいは遅くとも翌年の発売と断定して問題なかろう。
そしてその後6年にも及ぶ長い審査を経てようやく特許が出願公告されたころには、すでに本機の姿はあとかたもなくなっていたというお話、ああ無情。