ニュータイプ野球盤
昭和42年(1967)/任天堂
最初期の野球盤?
サイズは縦50cm×横45cm。筐体は恐らくセルロイド製で、印刷された厚手ボール紙がグラウンド一面に敷き詰められている。
外国の任天堂製品コレクターWebサイトでは本機の発売を昭和40年(1965)頃と推定しているが、僭越ながらその見解には少々意義を唱えておきたい。
(註:上述のWebサイト中においても「正確な販売年は定かではない」と書かれている)
同社「ディズニー野球盤A型」が昭和35年(1960)発売とすれば、それより明らかに作りがシンプル、もっと踏み込んでいえば原始的な本機の発売は、そのさらに前であったであろうことは十分推測できよう。
■2022.04.18追記:
本稿執筆後、上述の「ディズニー野球盤A型」は「製造元:任天堂骨牌」となっているものの、実際には河田商店(当時)が製造した可能性が高いと、筆者は同稿において推測している。
手負いの選手人形
まるで鬼が持つ金棒か、あるいは巨大なすりこぎか。選手人形の身長とほぼ同じ長さを誇る超ロングサイズのバットは、本機を入手した当時、彼の手元からポッキリと折れていた。そりゃそうだ、こんなクソ長いバットをいつまでも後生大事に持っていられるかっての。
そこで今回、20年ぶりにWebサイトに追加掲載するにあたり、選手の意向を無視して強制的に緊急手術を敢行。ゼリー式瞬間接着剤で一晩固定したのが上の写真で、この後さらにセロテープを細く切り、包帯よろしくグルグル巻きにしてようやく処置完了。
これで彼本来の持ち味である豪快なスイングが復活すると良いのだが。
お1人様専用機?
一般的な野球盤ゲームにおいては、攻撃側がホームベース後方、守備側がバックスクリーン裏と、2人のプレイヤーは盤を間に挟んで対峙する。
ところが本機においては攻撃側も守備側も、仲良くホームベース後方に並でプレイすることになる。
攻撃側は打者の左後方にある打撃ボタン(白)を押して選手人形をスイングせしめる。
そして守備側はというと、ホームベースを挟んで攻撃側の打撃ボタンと反対の位置にある投球ボタンを(青)押して白球…もとい鉄球を投げ込む。
よって攻撃側はピッチャーズマウンドにあるボールを見つめるのではなく、自分のすぐ右横にある青い投球ボタンとそれを押す相手の指先を凝視してスイングのタイミングを計ることになるのだ。
これではなんとも味気ない。
もっといえば、これら左右のボタンの間隔はわずは12.5cm。
たとえ小さな子供とは言え、2人並んでそれぞれ右手でボタンを押すことは限りなく難しく、よって守備側プレイヤーは必然的に攻撃側プレイヤーの背後から右手を伸ばして投球ボタンを押すことになる。
二人羽織じゃないっつの。
さらに突っ込まさせていただくと、もし打撃側が左利きで守備側が右利きの場合、左右逆に座って手をXに交差させねばなるまい。
そんなマヌケな体勢でスリリングな試合展開が期待できようか。
上の写真の説明書には「二人以上何人でも遊べます」と書かれている。
しかし本機はむしろ「お1人様専用野球盤」ではないか?
その証拠は下の動画で。
■2023.03.09追記:
当初、本機の発売年は不明だった。
ところが本日、別機種の発売年代特定のため特許情報を検索していて、偶然下記の実用新案公報を発見。
「押し釦式野球ゲーム機」という記述、及び全体図とそこに描かれた押し釦(ボタン)の位置は本機のそれそのものだ。
従って本機は昭和42年(1967)の発売と特定するに至った。
さらに、これまで疑問だった商品名も、それまでの主要機種におけるレバー式の投球装置やバットを指で回す打撃装置と異なり、投打に新しく押し釦が採用されているので「ニュータイプ」と名付けられたということことが明らかになった。