ディズニー野球盤A型

昭和35年(1960)/河田商店・任天堂骨牌

ディズニー野球盤A型 河田商店・任天堂骨牌 全景

製造・発売元に関する考察

野球盤考古学に課せられた解明すべき謎の1つに「ディズニー野球盤問題」がある。
昭和35年(1960)に発売された本機、一見したところエポック社製に思えるが、実はそうではない。

ディズニー野球盤A型 河田商店・任天堂骨牌 全景

本機が
■発売元:河田商店/日本ゲームKK
■製造元:任天堂骨牌株式会社
であることは、同年発行の「小学五年生 昭和35年(1960)9月号」(小学館)の裏表紙に掲載されたカラー広告からも明白だ。

任天堂骨牌とはもちろん現在の任天堂である。
ちなみに骨牌とはカルタやトランプを指す。

ディズニー野球盤A型 河田商店・任天堂骨牌 バックスクリーン

しかし盤面、外箱のどこにも「任天堂骨牌」の文字は見当たらず、盤面およびバックスクリーンには「Disney」の文字のみ。
単なる製造元に過ぎない「任天堂骨牌」を明記することに躊躇したか、それともウォルト・ディズニー社(以下WD社)とのライセンス契約によるものかは定かではない。



ディズニー野球盤A型 河田商店・任天堂骨牌 バックスクリーン裏の投球装置

深まる疑惑

任天堂公式Webサイトによると、昭和34年(1959)に「ディズニーキャラクターを使用したトランプを発売」とある。
恐らくはその際にWD社との間に締結されたライセンス契約を通じて同社とのパイプが構築され、それが翌年の本機につながったものと推察できる。

しかし最大の謎は、

「任天堂骨牌はいかにして野球盤を製造し得たか?」

という点だ。

失礼ながら、それまでもっぱら花札やトランプを製造していた会社が、変化球装置まで搭載されている、まるでエポック社製と見紛うばかりの当時最新型の野球盤を、いったいどのようにして製造することができたのか。

この、素朴にしてあまりにも重大な疑問が、筆者の脳内に延々と渦を巻いていた。



ディズニー野球盤A型 エポック社 河田商店・任天堂骨牌 盤面に印刷された意匠登録番号

疑惑解明への突破口

ヒントは思わぬところに隠されているものだ。

本機の1塁側ダックアウト付近の盤面に「PAT.161350号」と印刷されている。
それを手掛かりに特許情報プラットフォームから検索してみると…

ディズニー野球盤A型 エポック社 河田商店・任天堂骨牌 特許庁 意匠公報

ご覧の通り「野球遊戯盤の形状および模様の結合」の意匠が登録されていることがわかった。
意匠権者(考案者)は河田親雄氏、有限会社河田商店(当時)の創業者その人である。

加えて上掲の「小学五年生 昭和35年(1960)9月号」の裏表紙広告には

■ディズニー盤 ¥1,000(写真から本機とわかる)
■富士C盤 ¥500

と明記されている。

そこで当サイトですでに紹介している「富士野球盤B型」と本機を横に並べて見比べてみた。
すると驚くべきことに、

■全体のサイズ・形状
■成型プラスチックの筐体形状及びその青い色
■盤面上のアウト/安打・塁打の穴の位置・形状・大きさ
■変化球機能を含む投球装置のレイアウト及び打球装置

以上の点で本機は「富士野球盤B型」と、まったく同じであることが明らかになった。
逆に言えば、異なるのは盤面の印刷だけ。



ディズニー野球盤A型 エポック社 河田商店・任天堂骨牌 ディズニーにしては怪しいキャラクター

邪推ここに極まれり

ここからはあくまで毎度おなじみ、筆者の邪推に過ぎないことをお断りしておく。

上の意匠登録申請が昭和34年(1959)9月、ということは、すでにその時点で河田親雄氏は河田商店独自の野球盤製作ならびに販売を画策し、その開発を進めていたものと思われる。

玩具卸事業を通じてさまざまなメーカーとの間に外注による製造ルートを確立していたであろう同社は、自社製品として富士野球盤を(外注製造?)販売するかたわら、当時子供たちの間で人気が高まりつつあったディズニーのキャラクターを盤面にあしらうことを思いつく。

ディズニー野球盤A型 エポック社 河田商店・任天堂骨牌 ディズニーにしては怪しいピノキオ

しかし、本機の盤面に描かれたキャラクターのイラストをよく見ると、それが本当にWD社の手によるものか、かなり疑わしい。
表情こそ一応はディズニーっぽいが、胴体や手足の描き方は、愛くるしいディズニーのキャラクターたちのそれとは、著しく異なっているように見える。

そうなると、ただでさえ猜疑心の強い筆者の脳内は、さらなる妄想で膨張していく-。

上述のように、河田商店としてはどうしてもディズニーのキャラクターたちを登場させたい。
しかし同社が新たにWD社とライセンス契約を締結するとなると、莫大なライセンス料が発生する。
そこですでに日本国内においてWD社とのライセンス契約を提携していた任天堂骨牌に話を持ち掛ける。

「製造はすべて当社で行います。
盤面のディズニーキャラクターのイラストもこちらで描きます。
ただし、WD社との関係上、先方とのライセンス契約をお持ちの御社にこの野球盤の製造元になっていただき、 それを当社に卸す、という形を取っていただきたいのです」

これで河田商店、任天堂骨牌、WD社揃って三方一両得。
「フッフッフ。越後屋、お前もワルよのう…」

くどいようだが、以上はあくまでも発売から62年を経た筆者の邪推と妄想に基づく戯言である、関係各位におかれては、どうかご容赦のほど。

河田+任天堂タッグは、さらにこの後、本機よりひと回り小型の富士野球盤C型をベースに、その盤面にディズニーキャラクターを再度登場させた「ディズニー野球盤B型」を世に送り出す。
だが、その盤面に描かれたキャラクターは本機のそれとはガラリ一変し、「これぞディズニー」とも言うべき表情と体型を備えている。
この変化についての言及は他の機会に譲ることにする。

そしてそのディズニー野球盤B型以降、河田は新たな機種を発売することなく、事実上、野球盤事業から撤退した形となっている。

その理由はもちろん明らかではないし、同社公式Webサイト「沿革」のページにも野球盤に関する言及は見当たらない。
しかし当時、すでに多彩なサイズ・機能を備えた新機種を次々と世に送り出していたエポック社との技術開発力の差を痛感し、早々に手を引いたとも考えられる。

さらに驚くべきことは、1960年代後半になって今度はそのエポック社から「ディズニー野球盤C型」が発売されるのだ。
まるで河田+任天堂版ディズニー野球盤を歴史から抹殺しようとするかのような、エポック社の沸々とした情念の如きものを、勝手に感じざるを得ない。

結局のところ、この「ディズニー野球盤問題」でいちばん得をしたのは、やはりWD社ということになるのであろうか。

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