オールスター野球盤B型②

昭和42年(1967)/エポック社

オールスター野球盤B型② 全景

2作目のAS野球盤B型

盤面の選手イラストがそれぞれ異なる3種類が存在する「オールスター野球盤B型」、本機は前年の昭和41年(1966)版(当サイトでは便宜的に①の符号をつけている)に続き、その翌年に発売された、いわば2号機。

盤面上の守備位置についているセリーグの各選手を順に確認していくと

■投手:江夏 豊(阪神)
■捕手:田淵 幸一(阪神)
■一塁:王 貞治(巨人)
■二塁:高木 守道(中日)
■遊撃:藤田 平(阪神)
■三塁:長嶋 茂雄(巨人)
■右翼:山本 一義(広島)
■中堅:柴田 勲(巨人)
■左翼:江藤 慎一(中日)

すべてこの年のオールスターに選出された選手だ。

しかしここでひとつ問題が生じる。

右翼で今まさにフライを捕球せんとグラブを上に構えている、カープのユニフォームを着た選手の背番号は「8」。
それに対してこの年、オールスターに選出された広島・山本 一義選手の背番号は「7」だ。

それでは昭和42年(1967)夏のオールスターゲームの時点で広島の背番号8は誰だったかというと…

大和田 明選手。

しかし彼は昭和39年(1964)を最期に、それ以降オールスターゲームには出場していない。

他の8人のセリーグ選手のオールスター出場歴を調べていくと、本機の盤面イラストが昭和42年(1967)の球宴を描いたものであることに疑いの余地はなくなる。

となると、ヒッジョーに考えにくいことだが、山本 一義選手の背番号を描き間違えたとした思えなくなってくる。

ちなみに昭和46年(1971)から広島の背番号「8」となった「ミスター赤ヘル」山本 浩司選手がオールスターに初選出されたのは昭和48年(1973)だが、その年は江藤 慎一選手は球宴に出場していないし、柴田 勲選手の背番号もイラストに描かれた「12」ではなく「7」に替わっている。

さらに言うとエポック社野球盤公式サイトでは本機の発売が昭和45年(1970)と記されているが、本機の盤面に描かれている高木 守道選手はその年のオールスターゲームには出場していない。

以上のことから、現時点では「昭和42年(1967)発売/山本 一義選手の背番号描き間違え説」が極めて有力のように思える。



オールスター野球盤B型② マウンドに立つ江夏豊投手

伝説の球宴?

江夏 豊投手のオールスターと言えば、昭和46年(1971)、阪急西宮球場で行われた第1戦での9者連続三振があまりにも有名だ。

本機を最初に見たとき、マウンド上で躍動する江夏選手の雄姿に、思わず「あの伝説を再現した盤面か!?」と年甲斐もなく胸が躍ったが、盤面で二塁を守る高木 守道選手は同年のオールスターゲームには出場していなかったことを後に知る。



オールスター野球盤B型② 本人にはあまり似ていない田淵幸一捕手のイラスト

関西向けバージョン?

本機における選手イラストは他の2バージョンとはいささかタッチが異なる。
詳しくは下記動画でご確認願いたいが、ハッキリ言って本人たちに少しも似ていないのだ。

特に1塁側ブルペンで投球練習をする堀内投手の顔は、本人よりむしろ同僚の高橋 一三投手に似ているほどだ。

いかなる思惑と経緯があってエポック社がこの書き手に選手イラストを発注したのかは知る由もないが、決してヘタクソというわけではなく、見ようによっては他の2機における似顔絵的イラストより、むしろ絵画的趣きを感じるような気もする。

また、読売ジャイアンツが圧倒的な人気を誇っていた首都圏において、巨人以外の投手が大きく描かれ、その上かんじんの巨人の選手たちのイラストが(少なくとも王選手以外は)本人たちに似ても似つかない本機が、果たして実際どこまで受け入れられたのだろうか。

以上のように、いくつかの謎を内包した問題作ではあるが、少なくとも在阪の野球ファンから喝さいを浴びたであろうことは想像に難くない。

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