デラックス野球盤 魔球装置付き
昭和47年(1972)/エポック社
話題の新機能続々
本機は昭和45年(1970)発売の名機「デラックス野球盤」から2年の月日を経て発売された同機の新パージョン。
その基本的構造は「デラックス野球盤」をご参照いただくとして、本稿では新たに搭載された機能を紹介する。
魔球装置
守備側プレイヤーがバックスクリーン裏に3つあるうちの中央のレバーを一度引いてから離して球を放出した直後、右隣りのレバーを引くと本塁手前にあるフタが空き、球がそこから地下に潜ることで打者は空振りを余儀なくされるという、いわば「消える魔球」。
野球盤の代名詞ともいえるこのあまりにも有名なこの画期的機能は、本機、ならびに本機と同年に発売された、オールスター野球盤BM型(魔球装置付き)において初めて搭載された。
開発の背景として巷間伝えられているのは、人気漫画「巨人の星」大リーグボール2号を見たエポック社上層部が、同様の魔球機能の開発を厳命したというもの。
もちろんそれもあるだろうが、同社にはそれ以上に、従来型野球盤が長年内包してきた最大の懸案「投打の不均衡=打高投低」を是正する目的があったのではなかろうか。
これは特にF型(後のC型)などの小型機(=狭い球場)において特に顕著な傾向だが、バットがジャストミートすれば、小さな鉄球はいとも簡単に外野まで運ばれ、塁打の山が築かれてしまう。
端的に言うと、少しでも「乱打戦=大量得点の応酬」を食い止め、息詰まる投手戦を現出せしめたいという製作側の強い意図が働いたとも考えられなくもない。
現実の野球にはあり得ないこの荒唐無稽とも思えるギミックは、皮肉にもその後の野球盤ブームに大いに貢献した。
その大きな要因は「プレイヤー同士がルールを取り決める」という空前絶後の遊び方を誘発した点。
説明書には魔球装置の機能紹介こそあれ、その運用ルールや投球数に関する制限については一切言及されていない。
たとえ見送ればボールと判定されても、魔球を多用されればバットは空を切るばかりで打撃側としては面白くない、を通り越してもはや不愉快になり、早晩乱闘騒ぎに発展する。
そこでプレイヤー同士が「魔球は1イニング〇球まで」との、いわばローカルルールを取り決めることになる。
「魔球は1イニング5球まで」というルールが比較的穏当で広く採用されたようだが、中には「1イニング1球」という取り決めもあったと聞く、よほど喧嘩っ早い地域だろうか。
スイッチヒッター
打撃側にも画期的な機能が搭載された。
従来の右打ちに加え、左打席でも打てる「スイッチヒッター機能」がそれだ。
これは多分に、日本初のスイッチヒッターとして当時一世を風靡していた巨人軍・柴田勲選手の影響によるものであろう。
本機能を実現するため、バットは従来の据え付け式からはめ込み式に変わり、バットスイングコントロールは前作から採用されたレバー方式を踏襲している。
下の動画撮影のため、ほぼ初めて右打席に挑戦してみたが、投打を一人二役でこなしているため投球のタイミングが容易に計れるにもかかわらず、右打席に比べてボールに当てるのがいささか困難であった。
いやはや、慣れというものは恐ろしい。
観客席にフェンス新設
魔球装置やスイッチヒッター機能といった瞠目すべき新機能の陰に隠れてはいるものの、決して見逃せないのが、このフェンス。
観客席に飛び込んだ打球がホームランなのかファウルボールなのか、特に際どいコースに飛んだ場合の判定はヒッジョーに難しく、それは常に乱闘の危険性を孕んでいる。
そのため本作においては内外野の観客席スタンドを明確に仕切るフェンスが新設された。
こうした、常にプレイヤー目線に立った改良を続けるという姿勢こそが、野球盤市場における圧倒的なシェアを誇るトップブランドとしての矜持と言えるだろう。
ご愛用者の皆様方へ
上の画像2点は本機に封入されていたプレゼント応募はがきからの抜粋(両面印刷)。
表面には愛用者プレゼント、裏面にはエポック社の人気ゲームの数々がラインナップされている。
両面から見て取れることを簡単に列挙しておこう。
■本機が昭和47年(1972)10月、同年のクリスマスシーズンに向けの発売であったこと。
■中山律子、長嶋茂雄両氏と並んでイラストが描かれている大村崑氏が当時子供たちの間に絶大な人気があったこと。
■野球盤C-M型もすでに本年発売されていたこと。
■掲載されている魚雷戦ゲームは三代目であること。
■当時パチンコ、スロットマシンは子供のおもちゃにもなり得ていたこと。
それにしてもこの「野球盤ビッグプレゼント」の特賞「長嶋茂雄選手サイン入りバット」、もし今日まで大切に保管していたら、いったいいくらの値がついたことだろう。