野球盤D型
昭和34年(1959)/エポック社
変化球機能搭載の普及版
本機は「野球盤A-2型」と同じく昭和34年(1959)発売。
53cm×53cmとA-2型よりは小型ながら、変化球機能も搭載されている。
しかしA-2型が前年に発売されたエポック社野球盤1号機と同じ、がっしりとした木枠の筐体であるのに対し、本機は球場の外周に少々頼りなげな合板が用いられている。
グラウンドも合板製で凡打/安打(塁打)の捕球は合板をくり抜き、そこに成型プラスチックの凹を埋め込む方式を初めて採用している。
そしてこの成型プラスチックの捕球凹はこの後、長きにわたって同社野球盤に搭載され続けていくことになる。
以上のことから、本機は「野球盤A-2型」の普及版(廉価版)という位置づけであろうことは容易に推測できよう。
木工時代の掉尾を飾る名機
大衆向けの普及版とはいえ、後の時代の大量生産品とは少々趣が異なる。
上の写真は本機を裏から見たものだが、球場外周の薄い合板の内側を木の板がしっかり補強している。
同じように左右両翼間も長い木の板が差し渡され、投球レバーも木版で保護されている。
この写真を見る限り、オートメーション工場での流れ作業というより、むしろ息子にせがまれた父親がその辺に落ちている木の端材を使い、わが子を喜ばせたい一心で懸命にこしらえたようなハンドメイド感が濃厚に漂っている。
しかしこのわずか1年後、エポック社の野球盤製造システムは画期的な大転換を遂げることになる。
1歳下の弟分との違い
この翌年、昭和35年(1960)に発売された「野球盤E型」については、すでに紹介しているので詳細はそちらをご参照願うとして、同機はサイズ・外観・変化球機能といった基本的スペックは本機を継承している。
しかし本機との決定的な違いはまず筐体に採用された素材。
本機が「合板の外周+木板補強」であるのに対し、1歳下の、いわば弟分にあたるE型は成型プラスチックがその外周を覆い、盤面裏にも木板はまったく見当たらない。
それに代わって金属板が外周の成型プラスチック筐体を補強するのみならず、盤面全体をXの字に交差し、激しいプレー(及び乱闘騒ぎ)にも耐えられるよう、裏からしっかりとサポートしている。
また、エポック社お得意の俯瞰視点からの短縮法による選手イラストも、本機のそれはまだ実際の野球場と人間のサイズ比較に忠実であり(つまり選手が小さい)、どこかぎこちなく映る姿も相まって、プロ野球というより、どちらかというと草野球選手を想起させるのに対し、「野球盤E型」の選手イラストは、本機のそれより大きく、さらには驚くほどスマートに描かれている。
以上のことから、この1歳下の弟分は、本機とは似て非なるもののと言えよう。
どこかまだ戦後の殺伐とした面影を引きずっていた1950年代は、野球盤黎明期が生んだ傑作ともいえる本機とともに、歴史の表舞台から静かに退場していく。
代わって、この国が歴史上最も輝いていた1960年代の幕開けとともに華々しく登場する後継機は、手工業的な木工製からプラスチック+金属製という大量生産の工業製品へと劇的な変貌を遂げ、それによりエポック社も名実ともに野球盤市場における盟主の座を確固たるものにしていく。