ミスタージャイアンツ野球盤F型

昭和42年(1967)/エポック社

ミスタージャイアンツ野球盤F型 全景

初代Gマスコットマーク

読売巨人軍Webサイトによると、昭和39年(1964)10月に初代マスコットマーク「ミスタージャイアンツ」が決まる、とある。

それに対して本機が発売されたのはそれから3年後の昭和42年(1967)。
当時すでに読売巨人軍自体は野球ファンの間で高い人気を誇っていたが、この初代マスコットマーク「ミスタージャイアンツ」はそこまで高い認知度を獲得してはいなかったように思われる。

このマスコットマーク(今日でいうところのキャラクター)の誕生のいきさつについては、巷間伝えられるところによると、

■長嶋茂雄選手の「太い眉」
■王貞治選手の「大きな目」
■川上哲治監督(当時)の「太鼓腹」

がそれぞれモチーフになったとのこと、太鼓腹がモチーフなら誰でもなれそうだ。

それはともかく、一度見たら忘れられない、おにぎり型の輪郭が印象的な独特な顔貌ではあるが、万人に好かれ親しまれるか、と言われれば、うーん、微妙。

そんなわけで本機はマスコットマークそのものというより、巨人軍人気に乗っかった、エポック社一連の「キャラクター戦略」の一環と位置付けられるであろう。



ミスタージャイアンツ野球盤F型 マウンドに立つ投手ミスタージャイアンツ
ミスタージャイアンツ野球盤F型 一本足打法が王選手にソックリな打者ミスタージャイアンツ

ほとんど王選手の打者イラスト

架空のマスコットとはいえ、漫画やアニメのキャラクターとは異なり、あくまで「巨人軍選手」という設定であるからして、描かれるイラストはあくまで「ミスタージャイアンツが野球をプレイしているシーン」であるべきだろう。

従って盤面イラストは必然的にこの愛すべき初代マスコットマークが、守備に打撃に、グラウンドで躍動する姿がダイナミックに描かれていて、見飽きることがない。

特に注目すべきは左打席に入り、一本足打法で今まさに投球を迎え撃たんとする姿で、まるで本物の王貞治選手を彷彿とさせる。

いくらなんでもこれはご本人にいくらか払った方が良いのではないかと余計なお世話を焼きたくなるほどの出色の出来だ。
まあ王選手としても、こんな太鼓腹に書かれるのは決して本意でないとは思うが。



ミスタージャイアンツ野球盤F型 陰影法で描かれたフェンス

内外野スタンドの描写が圧巻

本機最大の特徴はなんといってもエポック社野球盤史上初となる「盤面にフェンスと観客席イラストが描かれている」点に尽きよう。

かつて一度、黎明期の名機(駄ジャレじゃなくて)「野球盤A型」(昭和35年/1960推定)において、打球が場外ホームラン(=紛失)となるのを防ぐために張り巡らされた外野フェンスに観客席イラストが描かれたことはあった。

しかし、盤面上に外野フェンスが、しかもなんと繊細な陰影法ご大胆な短縮法を用いて描かれ、その外側の内外野スタンドに多くの観客(約120人)が描きこまれているというのは、他メーカーを含めた野球盤史上初めての画期的な、それこそエポックメイキングな出来事といっていいだろう。

その上驚くべきことに、約120人の観客1人1人が丁寧に描き分けられている!

ミスタージャイアンツ野球盤F型 2人だけ妙に際立つ観客

中でも特にバックスクリーン向かって左横で胸にYGの刺繍入りオレンジ色のスタジアムジャンバーを着て声援を送る、いずれもメガネをかけた2人の男性の顔のタッチは、他の観客たちと完全に一線を画していて、どこかの漫画の脇役で登場してもおかしくないほどの高いクオリティだ。

少なくともこの2人だけは、どう見ても某人気漫画家(特定はできないが)の筆による可能性が非常に高いと思われる。

いずれにせよ、盤面イラストの完成度だけでいえば、本機は一連のF型シリーズ中、最高傑作と呼べるだろう。

強いて重箱の隅をつつかせいただくと、「OUT」「2B」など各ポケット穴の表示がかなり大きく、その結果に盤面が少々うるさい感じに仕上がってる点だけが少々残念。

ちなみに本機発売2年後の昭和44年(1969)、本機よりひと回り大きい「ミスタージャイアンツ野球盤C型」が発売される。

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