アサヒボーリング
発売年不明(推定 昭和46年/1971)/アサヒ玩具
真っ赤なレーンが興ざめ
外箱に「STマーク」が印刷されていることから、本機の発売はボウリングブーム真っただ中の昭和46年(1971)か、もしくはその翌年かと思われる。
全長59センチの真っ赤なプラスチック製レーンは「ファミリーボーリング(野村トーイ)」を彷彿とさせるが、投球が戻ってくるオートリターン装置はいささか異なる。
「ファミリーボーリング」においては投球がピン奥の穴に落ち、レーン下の溝を通って戻ってくるのに対し、本機のそれはピン奥の傾斜によりレーン左わきの溝を転がってプレイヤーの手元に戻る。この方式の方が多少なりとも本物のボウリング場っぽいと言えよう。
しかし「ファミリーボーリング」の項でも書いたように、この味もそっけもない真っ赤なレーンはどうもいただけない。
思えば昭和46年(1971)、なぜ日本国民はこぞってボウリングにあそこまで熱狂したのか?
その理由の一つに「ボウリング場そのものへの憧れ」が強くあったと考えられる。
筆者が父親に連れられて初めて、当時鶯谷にあったボウリング場「上野スターレーン」に足を踏み入れたのは、確か小学5年生の頃。
ピンが弾き飛ばされる音が心地よく響き渡るボウリング場はまさに非日常の世界、いやもっと正確に言えば、当時の誰もが夢見た「アメリカ」そのものだった。
上述の上野スターレーンを例に取れば、ジュークボックスからは当時流行していたアメリカンポップスが流れ、缶ではなく瓶入りペプシコーラやミリンダの自動販売機が置かれていた。
今日では想像もできないことだが、当時はまだ街角にジュースの自動販売などほとんど見られなかった。
ストライクを出して良い気分の親父におごってもらったミリンダグレープの甘酸っぱい味は、ジュークボックスが鳴らすポップスと相まって、まさに「未だ見ぬアメリカ」そのものだった(その後半世紀以上が経過して前期高齢者となっても、筆者にとってアメリカは未だにまだ見ぬ世界だが)。
要するに何が言いたいかというと、あたかも本物のボウリング場にいるような没入感覚で自宅でボウリングゲームを楽しむためには、レーンはあくまで木目調に見えなければならないということ。
プラスチック丸出しの真っ赤なレーンでは、まるで気分が出ない。
ピンセッターは半分オリジナル
いきなり長いダメ出しから始まって恐縮だが、気分を変えてまずはピンセッターから見ていこう。
本機のような忠~小型機種の場合、ピンセッターのほとんどに最もシンプルな「三角定規方式」か、セッターが後方に持ち上がる「開閉式」を採用しているが、本機のそれはいささか趣を異にする。
レーン上、ピンを立てる位置に深さ1センチのどの穴が10個開いている。
そこに10本のピンを立て終え、レーン横にある青色のダイヤルを時計方向に回す。
すると穴の部分が持ち上がってレーンと面一(平ら)になることで、10本のピンをレーン上に立てるという仕組みだ。
う~ん、実によく考えられている…と危うく感心しかけたところで気がついた、どこかで見たことあるぞこのシステム。
そう、実はあのエポック社の大ヒット機種「パーフェクトボウリング」におけるピンセッターと基本的には同じ原理だ。
違いは「パーフェクトボウリング」ではピンが穴にすっぽり埋まった状態になり、半透明の青いカバーを手前に持ってくることで10本のピンが、まるで古代ローマの円形闘技場(コロッセオ)の地下から現れるグラデュエイターの如くニョキニョキとレーン上に屹立する、いわば「タケノコ式」であるのに対して、本機はピンがたった1センチほど持ち上がる程度であるという点。
いわば似て非なるピンセッターだが、その違いは実に大きい。
「パーフェクトボウリング」では第1投後に青いカバーを後ろに倒せば立ち残っていたピンはスッポリ穴の中に沈み込むので、倒れたピンは手で払うことで容易にレーン外にどかせることができる。
一方、本機においては、立ち残るピンはほんの1センチほどしか沈み込まないので、倒れたピンを1本ずつ手で摘まみ上げねばならない。
こうした細かい手間や煩雑さがボウリングゲームの「没入感」に大きな影響を与える。
(そしてそれこそが、倒れたピンを自掃くように片付けてくれる「スウィーパー」装置付きの機種が高く評価される所以だ)
とはいえ、未確認ながら「パーフェクトボウリング」におけるピンセッッターがエポック社によってすでに特許もしくは実用新案されているとなると、他メーカーがそれをそのまま模倣するのは極めてリスキーだ。
当時のアサヒ玩具開発陣が「ピンが少しだけ沈む機能なら先行出願に抵触しないかも」と(甘く)考えたとしても不思議ではない。
というわけで本機のピンセッターは半分オリジナル、ということにしておこう。
ちなみに本機の外箱では「セミオートマチックピンセッティング」と誇らしげに謳われている。
確かにその呼称にウソはない。
既視感の正体
本機を初めて見たときから、なんとなく見覚えがあるような気がしていた。
もちろん同型機種はこれまで所有してこなかったし、だいいちアサヒ玩具がボウリングゲームを発売していたということは本機を目にするまで知らなかった。
それなのに「どこかで見た気がする」という強烈な既視感をどうしても払しょくすることができずにいた。
そして投球人形をじっくり観察…するまでもなく手に取って見た瞬間、その既視感の正体がハッキリした、
「ダイヤモンドボーリング(ヨネザワ)」の投球人形とウリふたつじゃあねえか!
◆褐色の顔貌
◆リーゼントのヘアスタイル
◆クリーム色の上下に茶色のベルト
とまあ、何から何までソックリだ、強いて相違点を探すと
◆ヨネザワ版の方が二回り大きく、顔も彫りが深い
◆ヨネザワ版の投球方法が「お玉方式」、本機は「押し出し方式」
くらいなもので、果たしてここまでソックリな投球人形を使われてヨネザワが黙っていたのか、その方が気になる。
ここまで書いてきて察しの良い方はお気づきの通り、本機はどことなく「安直」な匂いがプンプンする。
ボウリングブームが日本全土を覆い尽くした昭和46年(1971)、全国至るところに、それこそ雨後の竹の如くボウリング場が誕生し、日曜ともなればそのどれもが2~3時間待ちは当たり前という過熱ぶり。
そのブームは当然玩具業界にも竜巻きの如く波及し、大中小さまざまな玩具メーカーを巻き込んで販売合戦が過熱した。
当時ミニカーやママレンジなどのヒット商品で波に乗っていたアサヒ玩具としても、この波に乗らない手はない。
あるいは、ひょっとすると本機はヨネザワからOEM供給を受けたかもしれない、投球人形を見ればその可能性も否定できない。
そうまでしてでもブーム真っ只中のボウリングゲームで軽くひと儲けしたかったに違いなかろう。
そして本機のもうひとつの大きな特徴は、ボウリング本国のアメリカへの輸出を視野に入れていたという点だ。
外箱には本機の遊び方が細かく英語で書かれているし、アサヒ玩具ではなくアサヒトーイというメーカー名を使用している。
しかし実際に輸出されたのか、いやそれ以前に、あまりに短命に終わった国内のボウリングブームにおいて、本機が確固たる販売実績を達成し得たのか、はなはだ疑問だ。
熱狂的なブームも1年も持たずにあっけなく幕を閉じ、残されたのは札束ではなくデッドストックの山…なんて結末でなければよいけれど。