富士野球盤
昭和34年(1959)/河田
機種特定への道のり
本機は今から20年以上前に入手した時点ですでに外箱がなかった。
そのため、正確な機種名の特定から始めなければならない。
実のところ、本機も他の多くのアナログゲーム同様、 入手後はトランクルームに直行、そこで20年ほど雌伏の時を過ごしてきた。
2022年3月、今年に入って何度目かのトランクルーム探索で、奥の奥から気泡緩衝材に包まれた本機を発見した際は、
「なんだ、富士野球盤B型か」
そう思いつつも、何の気なしに持ち帰った。
ところがこのたび緩衝材をビリビリと破いて取り出してみると、確かに一見したところ富士野球盤B型に思えるものの、同機とは明確に異なる点が2つある。
筐体の内側は観客席
B型の筐体が青い成型プラスチック製であるのに対し、本機のそれは茶色の合板製。
したがって本機がB型より前に製造されたであろうことは容易に推測できる。
だが一方、本機と同じ合板製の筐体を持つ「富士野球盤C型」もB型と同様、昭和35年(1960)発売であることは、同機の外箱にそれと明記されていることからも明らかだ。
よって、筐体が成型プラスチックではなく合板であるという事実だけをもって、本機の製造年がB型の昭和35年(1960)より古いと断定するのは早計だろう。
さらに本機の合板製筐体について驚くべきことは、その内側に手書きによる観客席が描かれている点だ(C型も同様)。
満席となっているスタンドには、堂々たるヒゲを蓄えた紳士の姿も何人か見受けられる。
思わず「芸が細かい!」と唸りたくなったが、あまりに細かすぎるため、これが観客席を意味するイラストだと気がついたユーザーが当時どれだけいたかは不明だ。
変化球制御装置
残るもう1点のB型との相違点はセンタースコアボード裏にある変化球装置の位置と形状。
B型は変化球装置が投球レバーの手前にあり、なおかつ投球レバーのように前後ではなく左右に動かす仕組みだ。
一方、本機におけるそれは投球レバーの右横にあり、黄色いツマミをダイヤルのように回すことで、打者付近の盤面下に仕込まれている磁石が連動し、投筋が変化する。
以上2つの相違点から、本機はB型とはまったくの別物で、国内ゲーム販売史サイトに記載されている、昭和34年(1959)発売の富士野球盤の記念すべき1号機であろうと推定できる。
それにしても、外箱がないのが、かえすがえすも残念だ。
富士野球盤の謎
本機が1号機であるとすれば、河田商店(当時)は昭和34年(1959)、にわかに勃興しつつあった野球盤市場に華々しく参入を果たしたことになる。
それはエポック社がまるで木工民芸品のようなたたずまいの野球盤1号機を発売した、わずか翌年のことだ。
河田はさらにこの翌年には筐体に成型プラスチックを採用し、変化球レバーの位置を変えた「富士野球盤B型」、
ならびに同機にディズニーキャラクターを登場させた「ディズニー野球盤A型」、
加えて本機を小型化し、調節レバーなしでもカーブが投げられる「富士野球盤C型」を、相次いで市場に投入する。
さらには正確な発売年は不明ながら、その1~2年後(昭和36~7年)にはC型をベースにした「ディズニー野球盤B型」も発売するなど、畳みかけるように販売攻勢を強めている。
ところが、同社野球盤の新機種発売は、これ以降なぜかピタリと止んでしまう。
わが国の高度経済成長のカーブもますます上向きになっていこうというこの時期に、なぜ前途有望な野球盤市場から突然、撤退してしまったのか?
これについては同社公式サイトの沿革において何ら言及されていない以上、現時点でその理由を知る術もない。
しかし、「ディズニー野球盤A型」の項で示した通り、創業者・河田親雄氏は昭和34年(1959)9月の時点で野球盤にかかわる意匠登録を出願したように、野球盤の製造・販売に相当な意欲と決意をもって臨んだはずだ。
それがほんの2~3年で早々に撤退とは、どう考えても合点がいかない。
変化球装置の実用新案
上のイラストはエポック社が昭和34年(1959)6月9日に出願した
「永久磁石を用いて変化球を与える野球遊戯盤」
の実用新案において示された説明図。
第1図は上から見た盤面。
スコアボード裏のレバー15を操作することで永久磁石12が固着された円板10を回転せしめることを図示している。
上の第2図は磁石の位置による球種の変化を図示している。
以下は本実用新案から抜粋。
変化球把手(筆者註:把手とは「取っ手」の意)15を符号16のSの位置におくときは、第2図イに示すように磁石12は投手および捕手を結ぶ直線より最も離れた位置にあるためボールは直球となって本塁に走る。
次に第2図ロに示すように変化球把手15を符号のIのところにおくときは、磁石12は本塁のやや右近くに位置するため、インカーブを与える。
また第2図ハに示すように変化球把手を符号16のDのところにおくときは磁石12は本塁直前に位置するためボールは速度が落ちてドロップを与える。
また第2図ニに示すように変化球把手を符号16のOのところにおくときは磁石12は本塁の左側に位置するためアウトカーブを与える
このようにして変化球把手を調節することによって磁石12を約90度回転せしめ種々な変化球を与えることができると共に、把手8、15はいずれもスコアーボード3の背後にあるため、変化球を与える為の把手15の位置をゲームの攻撃側に知られることがない。
本案は叙上のように変化球把手の操作により回転する円板10上に永久磁石12を固着し、該磁石の位置を変化球把手15の調節により変化せしめるようにしたため、機構を簡単化することができるので、従来の野球遊戯盤に比べて低廉にこれを供給することができる。
また単に変化球把手15の位置を決めるだけで自由に変化球を与えることができるので、扱いも簡単で従来のもののように扱いが複雑なためゲームの興味をその名うようなことも少ない効果を奏する。
スコアボード裏の投球レバー横の変化球レバーを操作して盤面下の磁石の位置を移動させ、球筋を変化させることをわかりやすく図示したイラストは、本機(及び後のB型ならびにディズニーA型)における変化球装置とほぼ同じ構造だ。
この実用新案の公告(公開)は出願からおよそ2年後の昭和36年(1961)6月9日。
さすがにこれ以上の単なる憶測に基づく言及は控えるが、このエポック社による実用新案出願の公告と、それ以後の河田の野球盤市場からの撤退とは、必ずしも無関係とは言い難いようにも思えてしまう…。
もちろん以上はすべて筆者の邪推に過ぎず、真相はこれからも永遠に昭和玩具史の最深部に埋没したまま、決して浮かび上がることはないだろう。