ベースボールゲーム
発売年・発売元不明
謎が謎を呼ぶ野球盤
またしても出自不明、謎に満ちた珍盤?の登場だ。
筆者は「昭和レトロなアナログゲーム記録係」を自任しているが、ここまでメーカーや発売年の特定が困難になると、これはもう単なる「記録係」どころではなく、飽くなき探求心でどこまでも真相に迫ろうとする「探偵」の領域であろう。
さて本機、残念ながらすでに外箱はなく本体と付属品のみ。
盤面左、3塁側ファウルゾーンに「Base Ball GAME」と記されているだけで、発売元を推測する材料は皆無。
だからこそ、推理…もとい、邪推のしがいがあろうというものだ(苦笑)。
筐体からの推理
サイズは約38cm四方、奇しくも「野球盤ポピュラーC型」(エポック社)、「富士野球C型」(河田商店)、「ベースボールゲーム」(Sanei-mokko)となぜかほぼ同サイズ。
奇しくも、と一応は書いたものの、とても偶然の一致とは思えない。
そこにはきっと何か「裏」があるはずだ。
球場全体をぐるりと囲む合板製フェンスをバックスクリーン裏で金具をもって接合せしめる「合板フェンスL字型結合工法」構造も、前出の「野球盤ポピュラーC型」、「富士野球盤C型」、「Sanei-mokko」と不自然なほど見事に一致する。
…なんだか怪しいsニオイがプンプンしてきたぞ。
捕球ポケットからの推理
では盤面の「ヒット/アウト」を判定する捕球ポケットの構造はどうなっているだろう。
ポケットの位置はどのメーカーも似たようなもので、そこに明確な共通項を見出すのは極めて困難だ。
ただし「ポピュラーC型」をはじめとするエポック社のポケットが伝統的に「半円形」、「富士野球盤C型」のそれは「扇型」、さらには「Sanei-mokko」が「横長丸形」であるのに対し、本機は最もシンプルな「丸型」を採用している点がせめてもの独自性と言えようか。
ポケットに関しては1点だけ、本機と他機種の共通点がある。
それは「ホームランポケット」。
数ある黎明期の野球盤の中で、本機と「富士野球盤C型」のみが、バックスクリーン前に横に長い「ホームランポケット」を設けている。
しかし「富士野球盤C型」が、制球はほぼ不可能ながら変化球装置を搭載しているのに対し、本機は直球のみという最初期の構造だ。
筐体の構造とホームランポケットの形状から、本機が「富士野球盤C型」と似ている点があることは否定できないが、かといってそれが同一メーカーから発売されたと推察し得るほどの客観的証拠かといわれると、さすがに首をかしげざるを得ない。
盤面からの推理
本機は内野に淡いベージュとピンクの中間色、外野にも目に優しい鶯色を採用している。
この盤面の柔らかい色調はどこかで見覚えがあると思ったら「ポリー野球盤」によく似ている。
しかし逆に言えば本機と「ポリー野球盤」との類似点は盤面の配色のみ。
サイズ・筐体素材・ポケット構造ともに大きく異なっており(ポリーにはポケットはなく、磁石で球を吸い寄せる方針)、同じメーカーの製品と判断することはできないし、もしできたとしても、そもその「ポリー野球盤」からして、発売元は不明なのだ(苦笑)。
選手人形からの推理
本機はネットオークションで落札~入手したものであり、出品者から本体と一緒に送られて来た選手人形が最初から本気に付属していたものとは断言できないが、その選手人形はエポック社のそれとかなり似ている。
ということは、本機の製造元も「Sanei-mokko ベースボールゲーム」同様、黎明期の廉価版野球盤製造工程において、ひょっとしたらエポック社と部分的にでも取引関係があった可能性は、必ずしもゼロとは言い難い。
ヒントはスコアボードにあり
以上の他に本機の特長的な点を強いて挙げれば、描かれている選手イラストが投手ひとりだけといういささか寂しい盤面デザインと、スコアボードの回数表示が漢数字であることぐらいか。
…ん? ちょっと待てよ。 漢数字のスコアボードは確かに珍しいが、見覚えがないこともない。
そこで当サイトですでに紹介済みの野球盤を順番に見ていくと、同じく漢数字のスコアボートが採用されている機種を発見。
しかもスコアボード上部の時計の針も本機と同じく3時を示しているではないか!
(ちなみに本機と同サイズの富士野球盤C型のスコアボードは残念ながら手元にはない)
ということは、たとえ本機の発売元が河田商店でないとしても、その製造元が、河田発売した富士野球盤シリーズを手掛けたのと同じメーカーである可能性が強い、という邪推が成り立つ。
いずれにせよ、筆者としては、なぜこのように、発売元が不明な野球盤が世に出たのかという点に、非常な興味をそそられる。
本機が発売されたであろう昭和30年代後半は、玩具における全国的な販売網・運送システムがまだ完全には整っていなかったであろうことは容易に推測できる。
また製造工程にしても、本機のような「木製野球盤」が作られたのは、高度な成型プラスチック加工技術が確立される以前のことで、それなりの木工技術をもってすれば、たとえば町工場のような小規模メーカーでも、この程度の製品であれば比較的容易に製造できたのではあるまいか。
メーカー名を伏せ、人気ゲームの類似品をこっそりと市場に出して要領よく売り抜ける、そんな怪しげな発売元が存在しなかったとも限らない。
社会の隅々までシステム化され、息苦しさすら覚える今日、半世紀以上も前のこの国に、そのような小悪党メーカーが暗躍していたと思うと、むしろある種の痛快さすら覚えてしまうのは齢のせいか。
もっと突っ込んで言えば、上の写真のように発売元の異なる複数(本稿では4機種)の野球盤が、サイズや筐体が同じであるばかりか、投球装置およびバッティング装置、補給ポケットの位置に至るまで酷似しているというのは、いったい何を表しているのか?
とある製造元が、同じ筐体をもとに、盤面デザインや補給ポケットの仕様をほんの少しだけ変えた複数の類似機種をそれぞれ別の発売元に供給していた可能性も否定できない。
ひょっとすると筆者は、半世紀以上歴史に埋もれたままだった昭和30年代の「野球盤黎明期に潜む秘密の闇」を思いがけず垣間見てしまったのかもしれない、くわばらくわばら。